訪問看護、リハビリ、いろいろなセラピーで 豊かな晩年の実現を支援します

第10回講演会記録

  本年の全体テーマは「ケアと対話」~豊かな晩年を彩る~とし、20161126日(土)国士舘大学梅ヶ丘校舎で行われました。前半の講演は、「スピリチュアルケアの核心」というタイトルで、コミュニティをベースに在宅ホスピス医として活躍をしておられる山崎章郎先生(東京都 小平ケアタウンクリニック院長)にお願いしました。

 

 キーワード:スピリチュアルペインとスピリチュアリティのつながり・真の拠り所となる他者の存在・傾聴の意味と深さ(苦悩・苦しみを受けとめるということ)

 

1.<人生を変えた本と人物との出会い>

 

 外科医をしていた1983年、南極観測船に乗る船医として航海中、一冊の本に出会った。

アメリカの精神科医、エリザベス・キュープラー・ロスの著した『死ぬ瞬間』という本であり、終末期医療の考え方に大きな一石を投じることとなった。5年後、直接ご本人と会い話を聞く機会に恵まれた。人の苦痛(全人的苦痛)を4つに分けて、①身体的苦痛②社会的苦痛③心理的苦痛④スピリチュアルな苦痛の図で説明がなされた。当時、通訳はスピリチュアルを宗教的と訳したが、腑に落ちたわけではない。彼女は、次のように語った。上記の身体的・社会的・心理的な痛みにきちんと向き合えば、スピリチュアルな痛み(ペイン)は自然と癒されていくものであること、また、患者が人生の最終の局面で、苦しみやつらさの果てに安楽死などの願望を出すのは、「皆さんたちのケアが足りないからです」とのことばであった。このことばをその後の臨床のなかで問い続けている。

 

2.<スピリチュアルな痛みとは> 普遍性をもつ定義の試み

 

 緩和ケアの臨床における、患者のスピリチュアルペインについて、村田久行氏は、次のように説明している。「スピリチュアルペインとは、自己の存在と意味の消滅から生じる苦痛」とし、これは、終末期がん患者のさまざまな苦しみのあり様や状況にもとづくものである。たとえば、人生の意味の喪失・目的の喪失や、衰弱による活動能力の低下や依存の増大、自己や人生に対するコントロール感の喪失や不確実性、孤独、希望のなさ、といったものである。しかし、こうした状況は、終末期のがん患者だけのものではなく、より普遍化できないかと考え、次のように考えた。「スピリチュアルペインとは、その状況における自己のあり様が肯定できない状態から生じる苦痛」であると。すると以下のような疑問がでる。それは、この村田氏が示した具体的な状況をなぜ「スピリチュアルペイン」と呼ぶかである。身体的な苦痛が生じるのは、前提として身体があるように、その前提として人間にスピリチュアルなものがあり、そこが脅かされることによって、スピリチュアルな痛みが生じるのではないかとの仮説をたてた。

 

3.スピリチュアリティ(スピリチュアルなもの)とは何か

 

 さきほどの村田氏の説明「スピリチュアルペインとは、その状況における自己のあり様が肯定できない状態から生じる苦痛である」をもとにして、二つのことを考えてみたい。一つは、「自己のあり様」の「自己とは」ということである。自己は、他者との関係において、現実化される。あるいは、自己の存在と意味は、他者との関係のなかで与えられる。すなわち、「自己は他者との関係がなければ存在しない」といえる。先の説明に加えて「スピリチュアルペインとは、その状況における自己と他者との関係のあり様が肯定できない状態から生じる苦痛」とすると、より明確になってくる。

 

 二つ目は、「他者とは」何を示すかということである。人々(家族をはじめ、まわりで関わる人たち)そして、自分の存在に不可欠な、拠り所となる大切なもの(自然・哲学・宗教・芸術など)を想定する。ある状況が、自己にとって肯定できる状態なのか、そうでないのかは、その時の他者との関係性によっている。したがって、他者との関係性が苦しく自分のあり様を肯定できないのであれば、関係性を見直し、自己のあり様を肯定できるような他者を求めることになる。再び説明し直すと、「スピリチュアルペインとは、その状況における真に拠り所となる他者の不在によって生じる状態、すなわち、その状況における自己と他者との関係性のあり様が肯定できないことによって生じる苦痛」となる。逆に「スピリチュアルペインのない状態とは、真に拠り所となる他者がいて、その他者との関係性を通して、どのような状況でも自己のあり様が肯定できている状態」といえる。

 

 スピリチュアリティを考えるにあたり、人間の本質、特性について記したい。人は、その誕生から死に至るまで、生まれ、生き、死んでいくことを可能な限り肯定したいのではないか。それが人間らしいのであり、人間の特性と思われる。こうした人間の特性(本質)を念頭に、再説明すると「スピリチュアリティとは、どのような状況でも自己と他者との関係性のあり様を肯定しようとする人間の中核的特性である。ただし、その特性を発揮するためには、真に拠り所となる他者が必要である」といえる。また別のいい方をすると、「スピリチュアルペインとは、真に拠り所となる他者の不在の結果、スピリチュアリティが適切に、その特性を発揮できず、その状況における自己と 他者との関係性のあり様が肯定できないことから生じる苦痛」となり、ここで両者がつながりをもつことになる。

 

4.スピリチュアリティの位置とスピリチュアルケア

 

 人間を超えたものに問いかけるスピリチュアルな次元(スピリチュアリティ)は、日常生活の中で覆い隠されている(村田久行氏)という説明、藤井美和氏による「スピリチュアリティは、人間存在に意味を与える根源的領域にある」との説明を引用して、次のような図を描くことができる。

 

  

 

 

 

 

スピリチュアルケアの大事な点は、スピリチュアルな痛みへのケアというよりは危機が深まるにつれて「自己のあり様を肯定しようと願う」人間の特性を理解して支援するこることである。そのための真の拠りどころとなる他者が必要である。

 

 

 

5.真に拠り所となる他者になるために傾聴の意味と目的

 

 人が苦しい困難な状況(自己のあり様が肯定できない状態)にあり、その現実が変えられないとすれば、別の対処の仕方を考えなければならない。苦しい思いを語りつくすことがひとつの方法だろう。語る過程では、その語りをひたすら聴き、理解してくれる聴き手が必要である。語り手はその過程で、自分の思いが明確になり、苦しい事柄の新しい意味に出会う。そのことは、聴き手が真 の拠り所となる他者であったとき可能になる。

 

 苦悩する話し手にとっては、共感し、適切に傾聴する聴き手は、真に拠り所となる他者になる。話し手は、傾聴する聴き手との関係を通して考えを変容させ、その状況における自己を肯定することが可能になる。すなわち、理論にもとづいた適切な傾聴は、スピリチュアルケアになりうるのである。

 

6.「真の拠り所」となるためには、傾聴だけでは不十分である

 

 冒頭、キュープラー・ロスのことばを問題提起とした。全人的苦痛という4つの要素の身体的苦痛、社会的苦痛、心理的苦痛にしっかりと向き合えば、スピリチュアルな苦痛は、おのずと癒されるといった。聞き手が相手の思いをしっかり受けとめることによって、置かれている状況と他者との関係性を肯定しようとする人間の特性が回復してくる。困難を一つひとつ解決しようとする。解決できなかったとしても、それを受けとめ、その人の残っている力をサポートする。傾聴だけでなく、先の3つの苦痛にむきあうことによって、傾聴はさらに意味をもつ。

 

7.2つのエピソードから

 

○ 50代の乳がんの女性:治療を自ら拒否して、がんの末期の状態となり、ホスピスに入院、下半身のマヒ、おむつの状態となる。自らの判断で病気を放置、治療を拒否した方であったため、「死」を受け容れていると思っていた。ある日の回診時、「まだ死にたくありません」と語った。「なぜですか」と問うた。「ホスピスで、自分のことを大切に思ってくれ、大事にしてくれるスタッフやボランティアに出会い、こうした人たちともう少し時間をともにしたい」という。彼らの存在や関わりは、困難な状況の中で生きる彼女に生きる意味、生きたいと思う意志を呼び覚ましたのかもしれない。

 

○70代の男性:治療の限界から在宅となり、耳は聞こえず、両方の視力も次第に失っていった。聴診器を手で触ってもらったり、手のひらに文字 を書いて、コミュニケーションをとろうとしたが、無力感を感じていた。ある日、その方の奥さんがご主人のベッドで、身体全体を、思いを込めてマッサージをしたという。ご主人は、「久しぶりに安らかな気持ちになった」という。傾聴の有無にかかわらず、本当の拠り所というのは、全身全霊を込めて患者さんに向き合っていくこと、そのとき、自分のなかで、人が人として生きるスピリチュアリティは拠り所となる他者の愛によって動き出す。

 

 最後に・・・人は、誰でもその思いを受けとめる真に拠り所となる他者が存在すれば、その他者との関係性を通して、どのような状況でも、自己のあり様を肯定し、人間らしく生きていこうとする人間としての中核的「特性」を持っている。その特性をスピリチュアリティという。

(文責 石井三智子)

 

  

 

語ること・聴くことが生み出すもの

 

                臨床心理士  無藤清子

 

 昨年1126日の講演会&討論会の全体テーマはケアと対話でした。山崎章郎先生のご講演 スピリチュアルケアの核心≫ に、穏やかで熱い情熱を感じました。先生は、行動して、心で受け取って、湧いてきた問いをさらに論理的に突き詰める、そして、そこから導き出した答えから、さらに次の道を選ばれている、その積み重ねの探究という印象を持ちました。スピリチュアリティとスピリチュアルケアへのあくなき探究、その探究の強い足腰の秘密にふれるような思いがして、大変刺激を受けました。

 

山崎先生のお話を受けて、≪語ること・聴くことが生み出すもの≫という題で、私が関わっている2つの場で体験し・考えていることをお話ししました。

 

1つは、本協会の訪問看護ステーションでの、<自分の人生のエッセンスを語り 今を生きる>プログラムです(緩和医療の<ディグニティ・セラピー>を適用しています)。ご病気で医療・看護・介護などを受けている方、死というものを間近に感じている方、また、高齢になって身体などが今までより虚弱になってきた方にご利用頂いています。どういうことを大切にして生きておられるかなどをカウンセラーに語り、それをもとに、大切な方たちへの手紙のような文書を作ります。その過程と出来上がった文書が、その方ご自身の尊厳の感覚を支えるものとなると考えているのです。私にとって、お話を伺って、ご自身にしっくりくる文書をご一緒に作り上げていく過程は、文字通りかけがえのない“特別な時”となっています。そして、ご本人の尊厳が、この文書を受け取った方たちとも共有される、ということを実感してきました。この体験にふれながら、山崎先生のおっしゃるスピリチュアルケアに必要な“真に拠り所となる他者とは”という問いにたいして、“語りを聴き取り、共鳴し、響き合う人たち”がいることの力についてお話ししました。

 

もう1つ、主に認知症をもつご家族を介護している方たちが集って語り合っている<介護者の会>(家族会)での体験を取り上げました。介護者の多くの方々もまた、自分の人生の先行きが見えない、周りの“普通の”世界から切り離された感覚、これまでの自分らしさを維持することが困難、そして、生きていることの意味や家族であることの意味などを問い直さなければ生きていきにくい、というような状況におられます。介護者の会に出ていて感じるのは、“語ること・聴くこと”を通じて、お互いの“共鳴・響き合い”が起こっているということです。介護者の会で語られたことは、個人に閉じ込められた物語ではなくなります。それは、語り手にとって力になることだと思っています。

 

2つの場のどちらでも、語りを聴き、いわば証人となることで、聴かなかった時にはなかったような想い・考え・行動などが生まれ、自分の人生と共鳴し響き合うことが起こります。お互いにそうなることによって、“語り・聴き・響き合うコミュニティ”となり、そのコミュニティが、そこにいる皆の 今生きることを支えるのではと感じています。ある追悼会でディグニティ文書が朗読され、その後ご家族に感想やお手紙が寄せられています。その言葉の数々を伺うなかで私はさらに、亡くなられた方も含めての、この響き合いを実感しています。

 

この2つの場に居ることによって私は、こんなことを考えるようになりました。その方が元々思っていた自分らしさと違ってしまったとしても、今の状態・状況における新たな幸福・希望というものが確かにある。それを抱いて生きることが命を全うするということなのかもしれない、と。そのような希望をサポートする一助を担えたらと願います。また、認知症の深まった方のスピリチュアリティと、周りにそれが感じ取られるということについても、考え続けているところです。

 

最後に、講演会に来て下さったある介護者の方の文をご紹介します。介護者の会のある世話人の方に、講演会後に出されたお手紙からの引用です。(その世話人が執筆なさった印刷物からの引用で、お二人のご許可を得ています。)

 

「(前略)・・・私の趣味事をお休みし、そのエネルギーを全部主人に使いたいと思う。『あれ?私って変わってきたな』と思います。今まででしたら自分の時間を何とか持ち続けたいと主人にばかり譲りえない気持ちがあり、色んなことをしてきました。今回は違うんですね。家族会のお陰です。人生をもっと大きくとらえる気持ちが湧いてきたのです。ご紹介頂いた山崎章郎講師の『スピリチュアルケアの核心』を、先日聴いて来ました。豊かな晩年を彩るということは、まさに傾聴なんですね。専門家はどうなさるのか、素人の私にできるのかどうか自信はありません。が、やってみることにしました。主人に寄り添うのは私しかいないのですからやりがいがあります。」 「今までの私であったら、『あ~、面倒くさい』と思いますが、優しく『うん、そしてその人どうしたのでしょうか。』『それは面白かったねぇ』とか、内容に合いそうな返事をすると、ときには笑ったり私の目を見て肯いたり。主人に確かに変化が見られます。これが傾聴というなら(言わせてもらえるなら)結構楽しいです。日向ぼっこしながら、手足を動かすリハをしながら・・・(後略)」

 

これまでにも対応としてはなさったことがあったことかもしれないと思います。ご主人の認知症が進み、さらにご苦労・ご苦心されている今、スピリチュアリティに思いをはせつつ、このようになさっていて、しかも、「結構楽しい」とおっしゃっていること、さらに、その時おふたりにゆったりと流れる時間を思い描いて、とても心動かされました。

 

 

 

 

 

 

私たちの活動

  • 当協会の概要についてはこちらをご覧ください。

NPO法人 ホームケアエクスパーツ協会では以下の活動を行っています。

私たちの目標→

 

福祉とNPO活動

 私たちは、現在の社会で福祉(ウェルフェア)をいかに考えたらよいでしょうか。前提は経済成長が終焉に直面し、資源が枯渇に向かい、環境が劣化しつつあるという困難な社会的状況です。これまでは、国家福祉といわれるように、福祉は公的に賄われると考えられていました。しかし、福祉に向けられる国の予算が削減されるなかで、福祉の価値は個人的な判断に依存するという本質があり、また、ケアがその典型であるように、ひとと人との関係に根ざすものであることを思うとき、制度に頼るばかりでなく、自助、互助(近年、「新しい公共」といわれることもある)により、自分たちの手で達成することに意味があると考えました。今後、福祉は社会福祉、地域福祉が主役になってゆくべきでしょう。

 

 福祉を担う組織は地域を基盤とし、行政組織、地域組織、その他関係機関と密に連携を取りながら活動を遂行する必要があります。目的を共有し、情報を交換し、物心両面で相互に力を得ながら進めるために、私たちは特定非営利活動法人(NPO)が適切な活動の足場と判断しました。福祉を実施するには資金の裏付けも必要です。そこには公的な給付ばかりでなく、活動に賛同する方々からの寄付や自ら負担することも含まれるでしょう。そして事業の運営やサービスの提供は、現場の事情に精通したNPOが主導あるいは調整して行います。

 

これまで高齢者の福祉については、セーフティネットを整えることに主眼がおかれてきました。つまり病気になれば医療保険、障害がでれば介護保険、困窮すれば生活保護といったネガティブな状態からの回復を考えてきました。しかし、ウェルフェアとはもともと経済的な概念ではなく、満足すべき生活状態を表す心理的な概念です。経済的ベネフィットだけでなく、心理的なベネフィットを増進することがウェルフェアにとって有効な場合が多いと思います。つまり身体的な回復とは異なるポジティブウェルフェアの考え方です。私たちはこの点に注目し、医療・介護保険では賄えない、さまざまなサービスを提供し、豊かな晩年の実現を支援したいと考えます。

 

以上のような趣旨で特定非営利活動法人(NPO)を設立し、活動をしてまいりました。今後の具体的な企画は、その都度ご連絡いたします。ご理解いただき、ご協力、ご支援をいただきたいと思います。

 

20138

特定非営利活動法人ホームケアエクスパーツ協会

理事長 酒井忠昭

近年、慢性疾患やがんを患われておられる方々の療養の場所が、病院から在宅へと切り替わってまいりました。

 

  • 病院を離れて、自宅あるいは自宅に準じた施設で利用者の方々が生活の質(QOL)を高め「人生の主役」として生き生きと過ごせるようにするには、 在宅療養の方法に精通し、よく訓練された看護師や理学療法士等によるサービスが欠かせません。

 

  • 当協会は、地域における在宅療養を担うエクスパーツ(専門家)を育て、在宅療養の方法を研究し地域で共有する活動を続けております。  

 

  • さらに、病気や障害をもつ方々が、身体的な回復に加え、満足感や心理的ベネフィットの増進を得られるよう援助します。